【🌟🎉🚀 フィリピンでの就職体験を振り返る! 1年8ヶ月の挑戦と成長 🌟🎉🚀】

スポンサーリンク

🌟 みなさま、こんにちは! こんばんは!🌟😊

🙏 無力なポンコツジジイでございます 🙏

🎊 このブログは、定年退職後の挑戦や学びを正直にお伝えするために書いております ✨

💪 今回は、61歳でフィリピンに就職した我が身の1年8ヶ月を振り返ってみようと思います 🎉🌏

✈️ 就職を考えている方、海外で働きたいと思っている方のご参考になれば幸いです 😊🌟

スポンサーリンク

第1章:マニラ就職のきっかけ

「まずは、なぜマニラに行くことになったのか、そのきっかけからお話しします!💡

私は59歳11ヶ月で早期退職し、定年退職後に海外での就職を強く希望していました🌏。まず、海外就職のためにタイでの求人にも挑戦しましたが、1回目は不採用、2回目は詳細な条件が提示されず自ら辞退することにしました。

その後、失業保険を受け取りながら1年間の求職活動を続けていたところ、就職斡旋業者からフィリピンの求人情報を教えてもらいました📋。これが大きな転機になりました。

フィリピンの求人に応募すると、面接の日がなんと私の誕生日🎂!これには驚きましたが、同時に『これも運命かも✨』と感じた瞬間でもありました。

面接はZoomで行われ、事前にリハーサルを何度も繰り返し、想定問答集を作り、映像と音声の確認も入念に行いました📹🎤。

実際の面接は15分ほどの短いもので、印象的だった質問は『もしトラブルが起きた時、どう対処しますか?』というものでした。この質問には、具体的な対応方法を述べ、面接官の反応も良かったです👌。

その後、1ヶ月間は音沙汰がなかったのですが、ついに合格の連絡が届きました📞!採用の通知を見たときは『ラッキー!』と心の中で叫びました🎉。しかも、提示された年収は約500万円で、これも想定以上の条件でした💴。

大手の外資系企業に就職が決まったことは、本当に嬉しかった瞬間でした!」

スポンサーリンク

第1.5章:渡航準備の断捨離

「フィリピンに渡ると決まった後、日本での生活を整理する必要がありました🧳。

私はこれを機に、大掛かりな断捨離をすることに決めました✨。まず、アパートにあった洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、テレビなどの大型家電は、友人に譲ったり処分したりしました。さらに、趣味で使っていたスキーの道具や服もすべて売却または廃棄。

家具の処分も簡単ではありませんでした。捨てるにも費用がかかるため、自分で分解して市の焼却場に持ち込み、タダで廃棄する工夫をしました🛠️。車も売却し、手続きに時間がかかりましたが、無事に整理を終えました🚗。

最終的に残ったのは、大きなスーツケースひとつと小さなキャリーバッグだけ🧳✨。まさに“裸一貫”の状態で新しい挑戦に向けて出発することになりました。

『フィリピンは暑いし、Tシャツと短パンで過ごせる!』と思い、必要最低限のものだけを持ち込む決断をしました👕🌴。

この断捨離は、大きな挑戦でしたが、振り返ると自分の生活をシンプルにし、新しいスタートを切る良いきっかけになりました😊。」

第2章:フィリピン到着前後の生活

「いよいよフィリピンでの生活がスタートします!✈️✨

まずは、6月から7月15日までは日本の会社経由での研修業務を行いました📚。研修はすべてリモートで行われ、事前に会社から送られてきたパソコンを使用して業務の流れを学びながら、フィリピンでの仕事に向けた準備を行っていました💻。

そして7月15日、ついにフィリピンに向けて出発!

到着時は、まさかの“土砂降りの大雨と雷⛈️”の中でした。空港内は混雑しており、迎えの車が来ているはずでしたが、問題が発生🚗。4人の同僚と一緒に到着したのですが、迎えの車に私の名前がありませんでした。

事前に『何か問題があったら人事に連絡をしてください📞』と言われていたので、すぐに人事に電話をかけましたが、全くつながらない😅。何度も何度もかけ直しましたが、誰も応答してくれません。

『まさか、ここで放置されるのか…?😨』という不安が頭をよぎりましたが、空港のホテルのスタッフに事情を説明し、さらにフィリピンのアドミンチームにも直接電話をして状況を説明しました📲。

最初は『お前の名前はリストにないから無理だ』と突っぱねられましたが、メールの証拠を提示し、何度も粘り強く交渉した結果、なんとか迎えの車に乗せてもらえることになりました😊。

第3章:ホテル生活での1ヶ月

「フィリピン到着後の最初の1ヶ月は、ホテル生活(Makati)が中心でした!🏨✨

最初に行ったのは、ビザ取得に必要な手続き🛂。パスポートを預けたり、必要な書類を揃えたりと時間がかかる作業ばかりでした📄。その間も、日本の会社での業務が続いており、ホテルの一室がそのまま仕事場となりました💻。

朝食では、日本食を含む定食が提供され、これが毎日の楽しみでした🍱✨。昼食はホテルの外に来る屋台で購入し、現地ならではの味を楽しみました🍜。一方、夕食はコンビニやスーパーで冷凍食品やおにぎりを買って節約する日々🥪。外食はコストが高くなりがちなので、控えていました。

街に慣れるための準備もたくさんありました!まずは銀行口座の開設🏦。特にコンドミニアムの契約には当座預金口座(Checking Account)が必要で、小切手での支払いが基本でした✍️。契約時には敷金2ヶ月分と前払い2ヶ月分、合計4ヶ月分を一括で支払う必要があり、当時のレートでは30万円以上が必要でした💸。このため、十分な資金を準備していないと苦労することになります。

幸い私はぎりぎりで間に合いましたが、事前にこうした説明がなかったため困る人も多かったです😅。

また、フィリピンのキャッシュレス事情に驚かされました。『Gキャッシュ』という電子マネーが非常に便利で、日常生活で欠かせない存在に✨。ただ、チャージの方法や使い方を覚えるのに苦労しましたが、慣れると便利さに感動しました😊。

タクシー利用にも注意点がありました🚕。フィリピンではお釣りが期待できないことが多いので、小銭を常に準備しておくことが大事だと学びました。配車アプリ『Grab』を使っても、目的地での降車時にトラブルにならないように準備する習慣がつきました👍。

こうした不親切さには戸惑いましたが、“まあ何とかなるか💪”という精神が重要だと感じました。この期間で、フィリピンでの生活の基礎をしっかりと築くことができたのは、後々の大きな助けになりました!」

第4章:新しい日常とスロースタート

「ビザが取得できた8月中旬からは、いよいよ会社:Taguig、BGCでの本格的な勤務がスタートしました✨。

この時期、会社での業務はスロースタートでした📋。8月から12月中旬までの約4ヶ月間は、主に勤怠管理や社内システムの確認、日本のクライアントとのオンラインミーティングを行うなど、比較的落ち着いた業務内容でした。

この期間、特に印象的だったのは、残業が一切なく毎日8時間の定時勤務だったこと⌛。時間的にも余裕があり、生活に慣れるための時間を十分に確保することができました。

家の中で必要な家具や日用品を買い揃えるために、週末はショッピングモールやローカルマーケットに通いました🛍️。食品や日用品、冷凍食品の種類、薬局の場所などを一つ一つ確認し、徐々にフィリピンの生活に慣れていきました。

特に、フィリピンのモールは広大で、どこに何があるのかを把握するのに最初は苦労しましたが、その探索自体が楽しい経験でした✨。

仕事ではプレッシャーもほとんどなく、『ここまでゆったりしていていいのかな?』と思うほどリラックスした日々でした😊。このスロースタートの期間があったおかげで、心身ともに新しい環境に馴染むことができ、充実した日々を送ることができました!」

第5章:繁忙期の始まり

「12月に入り、大きな変化が訪れました!🎄

新たなプロジェクトが立ち上がり、これまでの業務に加えて別のプロジェクトも兼務することになりました。初めての引き継ぎ業務が始まり、カバーする範囲が一気に広がりました📈。

年末からは、これまでの2倍以上の業務量に増え、繁忙な日々が始まりました。新たなプロジェクトは非常にハードで、残業が増えるのは避けられない状況でした。

それまで8時間だった勤務時間は、毎日2〜3時間の残業が当たり前となり、負担も一気に増加しました💼💦。一つ上の上司をフォローする形で業務を進めていましたが、その影響で、対応しなければならない業務の範囲がどんどん拡大していきました。

とはいえ、最初の4ヶ月間はゆったりした日々を過ごせた恩も感じていたため、『これも仕方ないかな…』と思いながら乗り切る覚悟を決めました💪。

この時期は厳しかったものの、自分自身の成長を強く実感するきっかけにもなりました。繁忙期をどう乗り越えたか、その詳細は次回お話しします!」

第六章: 就職振り返りの苦難と挑戦 💼💪

スタートからの挑戦 🕒🔄

7月から12月までの最初の4ヶ月間は、比較的スロースタートで、1日8時間の勤務で順調に進んでいました。しかし、新しいプロジェクトの掛け持ちが始まると状況が一変。特に2つ目のプロジェクトは負荷が高く、作業量が3倍に感じられる厳しいものでした。それでも、当時は上司にあたるマネージャーが優れたリーダーシップで支えてくれたため、なんとか乗り越えることができました。

### 年末年始の試練 🎯📈

年末、新たなサポートメンバーが加入しましたが、彼も他業務との兼務だったため、大きな支援を受けることはできませんでした。その結果、引き継ぎ業務が増え、負荷はさらに増大。作業量は従来の3倍程度に感じられる状態になり、毎日30分程度の残業が当たり前となりました。

### 残業地獄と退職を考える日々 ⏰💔

翌年の2月以降は毎日朝5時に起きて7時から仕事を始め、夜9時から10時までの長時間労働が続きました。家では寝るだけの生活が常態化しました。さらに5月には上級のマネージャーが退職し、代わりがいない状況の中で業務負担が急増。8月時点での作業量は4倍以上(あくまでもイメージですが)に達し、精神的にも限界を感じました。実は、負荷が3倍に達した2月頃に退職願を作成したのですが、裸一貫で来たこともあり、辞表を出すのは踏みとどまりました。

### 人員減少とチーム崩壊 🛠️🧩

2月以降、チームのメンバー数が急激に減少。もともと100人だったチームが、毎月15〜25人ずつ減少し、最終的には30人程度にまで削減されました。この変化によりミスが頻発し、クライアントからの指摘が厳しくなり、精神的なプレッシャーがさらに増大しました。

### ドロドロの2年目 🔄😫

8月以降、残業に加え、土日の出勤も常態化しました。平日は朝5時起きで夜10時まで仕事、土日も仕事漬けの日々が続きました。精神的にも肉体的にもボロボロの状態となり、心身共に限界を迎えました。

第七章: 最後の決断 🌟📌

翌々年の一月初め、自分にとって大切な人が大病を患い、手術が必要な状況になったと連絡を受けました。これが、自分の人生を見直すきっかけとなりました。「このまま働き続けることが自分にとって後悔のない選択なのか」を考え、翌々2月中旬に退職を決意しました。4月末をもって会社を退職し、5月には日本に帰国する予定でした。

しかし、ここでビザの問題が発生。PEZAビザという就労ビザから通常の滞在ビザにダウングレードするには、1.5ヶ月程度の手続きが必要だと告げられたのです。もしダウングレードを行わずに帰国すれば、フィリピンのブラックリストに登録され、将来的に再入国が非常に難しくなる可能性があると説明されました。

やむを得ずフィリピンに留まることを決断しましたが、この間は収入がなく、不安定な生活を余儀なくされました。手続きが完了するまでの期間は精神的にも非常に厳しく、早期にこの情報を把握していれば退職のタイミングを調整できたかもしれないと後悔も残りました。要は退職日の1.5ヶ月以上前にはダウングレードの申請する必要があるということです。

最終的に、全てのビザ手続きが完了し、予定より遅れながらも無事に日本に戻ることができました。この経験は、自分のキャリア選択だけでなく、海外で働く際の法的手続きの重要性を強く実感させるものでした。

まとめ 📘✨

この約1年9ヶ月のフィリピンでの経験は非常に濃密で、厳しいものでしたが、多くのことを得ることができました。収入面でのメリットはもちろん、新しい国での生活や文化的な適応、そして仕事を通じての成長がありました。また、英語力を磨き、多文化の環境で働くことで得た人間関係の広がりも大きな財産です。

しかし、この経験の中で最も重要だったのは「自分にとって何が本当に大切なのか」を見つめ直すことができた点です。最後には、自分自身の健康や大切な人との時間を優先する決断をしました。

この振り返りが皆さん少しでも参考になれば幸いに思います。よろしくお願いします!📌👍